2016年10月14日

こんなときにガールズ&パンツァー考察 大洗女子学園について

ガルパンについて考えてみた。
基本与太話なので、あんま気にしないでください。



●県立大洗女子学園

・Chapter 1「全国制覇の要員となった“初心者”軍団」

第63回の戦車道全国高校生大会で優勝を果たした大洗女子。
隊長、西住みほの柔軟かつ大胆な指揮が話題になったが、初心者集団であることが大きな武器となった。
これは決して「西住みほがおかげで100%の信頼を得ることが出来た」という意味ではない。
恐らく、黒森峰でも十分西住みほは指揮をとることができたはずだ。
隊を指揮するにあたり、研究熱心で知識も豊富。単独の戦車長としてみても判断力とアイデアに優れる。
求心力も、黒森峰で未だにその存在が語られることを考えればかなりのものだろう。
若干謙虚すぎる嫌いがあり、ときに自身の能力を十全に発揮できないところがまだあるのが弱点か。
とはいえ、第63回に参加した高校生世代3年分の中でも、素養は突出していると言っても過言ではない。
ただ、それだけで強豪に勝てるほど大会は甘くなかったはずだ。
そこで大きな鍵になったのが、西住みほ流を体現するに辺り、戦車道に対して先入観がゼロだった初心者軍団だっただろう。
西住みほ流とは何なのか。
私はそれを「フットボールにおける理想のチーム作り」と同義だと考えている。
組織的な戦いでありながら、個人(各戦車!)が積極的にリスクにチャレンジする(指示をいちいち仰がない)ことで、ダイナミックで解放的な戦いを可能にした。
周囲からからは「個人個人が自分の頭で考えて判断している」「それがコンビネーションとして繋がり、驚くような結果をもたらしている」と判断されている。
だが、このようなやり方は、賢明な皆様は「アイデア出していこう!」になってしまうリスクを孕んでいることを当然理解しているだろう。
手詰まりを防ぐために与えた自由の結果、チームとしての戦いがぼやけてしまえば勝利は遠のいてしまう。
その点、西住みほの大洗は、メリハリが実に利いていた。
ペースを握れていないとき、守勢に回っているとき、西住みほは決まって具体的な指示で各戦車を操っている。
また、進軍方向については勝手を許すことは一度もなかった。
どこに進むのか、どこで戦うのかの決定権があるのは常に西住みほであり、自由に動き回る、ということは許されなかった。
では、守勢ではない大洗がペースを握っているときはどうだっただろうか。
アンツィオ戦ではマカロニ作戦を看破した後、西住みほは各車に「どのような働きをしてほしいか」は指示したものの「ではどのように動けばよいか」については具体的には指示を出さなかった。
これは、西住大洗のチームコンセプトが「相手戦力を拡散、漸減しながらフラッグ車の孤立を狙う」とサンダース戦で定まったことが大きかったか。
チーム全体がこのように戦えばいいのだ、というイメージを共有できたことで、簡略的な指示でもそれぞれが果たす役割を即座に描きだし、状況が変化したときでも指示を仰がずに対応することができた。
例えば決勝での最後の作戦、恐らくポルシェティーガーにだけは、組織上果たしてほしい役割があったため具体的な指示を戦前に出していたはず。
だが、M3リーと89式は自分達の行動を自分達で決め、それを西住みほも承認している。
チームとしてコンセプト、戦い方が共有できていなければこの素早い判断は難しい。
この場面で隊長がどう戦いたいかをチーム全員がしっかり共有できていることを確認できる場面だ。

西住みほ流にとって次のポイントは、いかにチームが共有できている展開にもって行き、目標を達成できるか、である。
そこで「どのように戦うべきか」という縛りはない。
そのときそのときに応じて、行動を変化させる。
逃げ回ったと思えば敵中を強引に突破し、力押しかと思えばまた逃げる。
一見型がないように見えて、その実一つの目的に向かってチームが全力で力を合わせる。
これが、既存の戦車道経験者のチームで実現が難しかったのではないかと考えられる。
サンダースでアリサが89式なら勝てると報告ゼロで攻めに上がったこと。
アンツィオや黒森峰の各隊員の動き。
日本の戦車道はどうも「各局面での勝利の積み重ねが最終的には勝利に繋がる」という考えが余りにも強すぎるのか、今自分達が置かれている状況を打開しなければと、組織を度外視ししすぎて、前に出てしまう傾向がある。
西住まほやアンチョビはもちろん放置はせずに、フラッグ車だけを狙えと指示を出したり、戦力の集結を図るなど修正に動いていた。
しかし、目の前に戦いがあればそれに勝ちたいというのが戦車女子よ、ということなのかどうかは分からなかったが黒森峰は重戦車2台を失い、アンツィオはフラッグ車が完全に孤立するという事態を招いてしまった。
先ほど、大洗の戦いのダイナミックさを生み出しているのは個人の思い切ったリスクチャレンジと書いた。
しかし、個人の判断によってチームに穴が空くことを大洗の対戦相手が幾度も証明してしまっている。
大洗はどのようにして個人の判断をチームの力として昇華してきたのだろう。
大洗のチームも最初から出来ていたわけではないはずだ。
聖グロリアーナ戦では動けず指示を仰いでいたし、プラウダ戦までは血気盛んに攻めに出る性質があった。

このプラウダ戦での失敗が、各戦車のフォア・ザ・チームの精神を引き出した。
西住みほ流最後のピースである自己犠牲の精神が嵌ったのだ。
チーム全体がどのように戦うのかを共有できているので、プランの達成のために今自分達が何をすべきかを考えて実行する。
多くの戦車を撃破したい、生き残りたい。
そういった個人の欲を置いておいて、ここぞの場面ではチームのために動くこと。
時には犠牲になることも厭わない姿勢を要求される。
プラウダ戦の終盤と黒森峰戦で、いくつかのチームが味方を生かすための犠牲として、白旗判定に追い込まれた。
だが、その任務に当たった戦車チームからは恨み言は一切漏れなかった。
それどころか、最後にはアヒルさんチームとウサギさんチームは自ら進んで最後の攻撃の機会を作るために行動を起こしている。
どうしてここまで積極的になれるのか。
フォア・ザ・チームの姿勢から産まれた行動を西住みほは常に許してきた。
みんなのために頑張る行動を邪魔をせず、しっかりと活かす。
隊長がしっかり結果を残してくれると信じているから、隊員はチームのためにとチャレンジを続ける。
チームのために挑戦し続ける隊員を隊長はさらに信頼し、指示にもより迷いがなくなる。
迷いがなくなれば、隊員も動きやすくなるし、また挑戦もしやすくなる。
自らの行動が勝利に繋がると信じることができるから、隊は積極的に行動できる。
隊員がチームのために奮闘してくれることを知っているから、時に奇策とも評される作戦を隊長も実行できる。
そうして局面を打開すれば、隊員達もますます積極的になる。このサイクルが大洗に出来上がったのだ。
好循環の果てにたどり着いた黒森峰戦は、まさに西住みほ流の基礎の完成と、日本戦車道の改革の日の出の試合となったのである。



・Chapter 2 「キーマンとなった2人。磯辺典子と澤梓」

西住みほ流の浸透を図る上で大きなキーマンとなったのが、バレー部キャプテン磯辺典子と、ウサギさんチームの澤梓だ。
西住みほ流の考え方はフットボールの理想のチームと表現したようにスポーツである。
戦い方を自ら規定することなく、勝つために様々な手を使う。
この発想の転換において、磯辺のプロフィールが大いに役立った。
戦車道と競技は変わったものの、周囲の状況からしっかりと自分で判断し、鮮やかに味方の攻撃に繋げる様はバレーのセッターというポジションの矜持が見えた。
特に2つの試合。まずサンダース戦では単独でのフラッグ車探索に成功すると、誘導の指示が出た後も逃げに徹し、フラッグ車の完全包囲に繋げた。
決勝では出来る限り的の戦略を分散するようにという全体への指示から即座に挑発という個別行動に変換し、実行、完遂して勝利に貢献するという最高の役者振りを発揮した。
このシーンに驚かれている方は多いと聞く。
通常ならば、まず全体の指示があり、その後ではこれを達成するためにどこそこは……という個別の指示が続くと思われるものだ。
だがこのシーン、個別に指示を受けたのは恐らく前述のとおりポルシェティーガーのみ。
残りの2両は、自らどう動くかを決定している。
フラッグ車との一騎打ちという展開が明示された段階で、どのような戦いをしなければならないかのイメージが共有されていたことと、89式にできることを把握した上で何が期待されているかも理解していたことがよく分かるシーンである。
もっと良い戦車であればバレー部は活躍できたのではと言われる。
しかし、セッター磯辺典子の能力をそのまま発揮するには、「足りない」89式は最適だったのかもしれない。
また、このような役割を果たしている中で自分達がどう動けば敵がどう動くか、ということを常に考えさせられた成果はリボンの武者3巻で存分に描かれている。
主人公チームを砲撃と先読みで完全に抑え込んでしまう腕前は主人公をして次元が違うと評されるレベルに達している。
チーム戦においても相手の動きをコントロールできるようになると、大洗の戦いはさらに革新的なものとなりうるだろう。

澤梓が果たしたのは、チームにとって必要なものを成長の過程で手に入れ、それをチームに提示することであった。
最初は怖くて逃げ出して、なんとか生き残って、成果を出して。
そして最後にうさぎさんチームが手に入れたもの。
それが自己犠牲の精神だった。
プラウダ戦でフラッグ車を護るために盾になる行動を自分達から起こしたとき、西住みほ流の基礎工事は完了したと考えられる。
その後、エキシビジョンで功を求めて見事に失敗をし、今一度自分達にできることとは、と考え始めることになったのはご愛嬌というところ。
まだ1年生。これから成功も失敗もするであろうが、チームのためにの精神が薄れることはあれ、失われることはないだろう。

さて、次期隊長とも目される澤梓だが、現時点でその素養はまだまだ十分ではない
確かに、状況把握能力の図抜けているところは作中でも何度か見せている。
しかし、西住みほと違い、基礎戦術の知識が全くない。
これから学んでいく段階にある。
そのため、全体戦略を組み立てるまでの能力が未だに備わっていない。
ここでしっかり成長できれば良いが、そこまで成長しきるかは不透明だ。
また、次に入ってくる1年生に隊長となる器を持った新星が入ってこないとも限らない。
基礎戦術をしっかりとマスターし、全体を見通し戦略を組み立てれるような戦車長が。
全国大会の優勝校、さらにそのときの隊長が在籍中となればそのようなプロフィールを持った人間が門を叩かないとはどうして言い切れるだろうか。
しかし、それでも。
澤梓が西住みほの後を継ぐことに私は疑いを持っていない。
西住みほ流の最後のピースにして最大の根幹、自己犠牲の精神。
うさぎさんチームが成長を続ければ、この大事なフォア・ザ・チームを体現する存在になることは容易に想像できる。
また、チームプレーの精神をチームが持ち続けるには、隊長が率先垂範の人でなければならない。
西住みほの背中を追い続ける澤梓は、自然と隊の模範となるべく行動を取るようになる。
大洗というチームが西住みほの築いた戦いの延長線上で成長し続けたいと願うならば。
率先してチームのために奮闘できる存在となりうる澤梓は絶対にリーダーとして必要になはずだ。
その試合、その局面でチームに自分達が何をもたらせるか。
もがき続けることで成長をし続けなければならない。
その成長の果てには、西住みほの跡継ぎという大役をしっかりとこなす次期隊長の姿があるだろう。


・Chapter 3 「西住みほ流の与えた影響とこれからの高校戦車道」

結果を残したことで、西住みほ流は様々な反響を引き起こしている。
まずは大洗女子学園の対策から。
劇場版で、西住みほの大洗はその弱点を存分に晒してしまった。
まずは、大洗以外の学校の部隊が入ったことで明らかになったこと。
西住みほ流の場合、全車両がチームのために貢献することが求められるが、その感覚が共有できていない場合、大きな穴が空く。
試合では完全にペースを握っているところから、知波単が「自分達のスタイルだから」と吶喊を選んだところで逆にペースを握られてしまった。
これは、知波単だけの問題ではなく、大洗のM3リーも重戦車キラーに拘りあっさり撃破されている。
どこか1台でも功を焦ればそこが穴になってしまう。
戦力的に埋めきれるだけの余裕があれば良いものの、大洗には車両的な余裕はない。
チームとして遊びがもてないことがまず大洗の弱点として浮かび上がってくるだろう。

そしてもう一つ、ゲーム戦略が未だに相手を分散させること一点突破にならざるを得ないところが苦しい。
ダージリンは既に大洗の持ち込みたい展開を見破っており、「黒森峰ならともかく」と分散の誘いに乗らなかった。
火力で上に立てない大洗相手に戦力集中という対策を取る高校はこれから必ず出てくるはずで、高い壁として立ちはだかる可能性は高い。

なお、黒森峰ならともかく、と言うのは決して黒森峰が猪武者と言いたいわけではなかったと思う。
西住まほは、どうも妹の全ての策に乗った上で全部上回って勝つということをもくろんでいた節がある。
長期戦を狙いたい大洗に対してまずは電撃戦。
山の上に登るのは「想定より」早かったが、そこからの砲撃への対策は用意済み。
市街地へ逃げることもお見通しで、突破できそうもない超重戦車を配置しておく、など妹の戦略を尽く読んで行動している。
西住みほはその全ての対策をなんとかしてしまった。
最後の一騎打ちは西住まほとしてはここまで戦い抜いた妹に対する敬意と、自分の策を全て上回ってきた戦車乗りを屈服させたいという欲が出たと考えられないだろうか。
ダージリンとしては、そんな戦闘狂のような考えは持ち合わせるつもりはなく、黒森峰ならともかく、と発言したのではないだろうか。

話を戻して、隊長である西住みほへの依存度の高さも弱点ではある。
戦力に余裕がないため、時には自身が囮として動くなど、隊長でありながら前線で戦うことが少なくない。
しかし、西住みほの戦車乗りとしての圧倒的な能力の高さを考えると、狙ったところで返り討ちに遭うおそれが少なくない。
討ち損なえば当然自分への集中を逆手に取った分散策を取られるわけで、隊長車を討ってのチーム力低下を狙うのは、余程の自信家でない限りは取りづらい策ではないだろうか。
以上、西住みほの活躍は、対策をある程度考えられており、その壁をどう乗り越えていくかが、これからの大洗の戦いの中での注目すべきところである。

高校戦車道には改革の波が押し寄せてきている。
顕著なのは訓令戦術を取り入れた黒森峰で、各車両がより自律的に行動することをひとまずは取り入れたいというのが各校の思惑のようだ。
強襲戦車競技への各強豪高の興味もそれならば納得が行く。
戦車間の性能差が少なく、複数戦車の連携から個別の戦車乗りの力量まで幅広く問われる強襲戦車競技は、チームとしてどのように戦っていかなければならないかを学ぶ格好の練習場と考えられる。
また、非公式の試合なので勝ち負けを気にせず思い切ったチャレンジが出来ることも大きい。
より既存の戦車道に捉われない、新しい戦いが生まれる場として。
また、戦車道の修練の中で学んだことを確認する場として。
強襲戦車競技がこれから注目されていくことは間違いない。

だが、西住みほ流が個人の判断頼りで成り立っているわけではないのはここまで述べたとおり。
重要なのは、チームとして目的に向かって戦っていくこと。
そして、目標達成のためなら戦い方に制限を置かないということ。
特に後者が大きな問題となって日本戦車道に立ちはだかっている。
詳しくはリボンの武者を読んでいただきたいが、2つの強豪高が自分達の戦いに固執した結果、どう戦うかを完全に読まれてしまっていた。
そしてそのまま覆す策もなく敗れてしまったことは重大な問題として取り扱わなければならないだろう。
戦車の性能に差がある公式戦車道では覆い隠せていた、相手に対策を取られたときどうするかの問題が、強襲戦車競技によって燻りだされている。
戦術ありきでは、もはや戦えない時代が確実に近づいている。
個人ありきでも、チームで十分対抗できることは分かってきている。
局面局面の勝利の積み重ねを目指すのではなく、最終的に持って行きたい展開に向けてチームが一つになって様々な手を駆使する、そんな時代が確実にやってくる。

大洗はもちろんこれから西住みほ隊長の下、より基本的な動きを学んでいくことだろう。
練度もさらに上がっていくに違いない。
そうなると、型を覚えることで自由な発想を失うのではないかというよくある議論が思い浮かぶ。
大洗も柔軟なチーム運用という武器を失うのだろうか。
大学選抜戦で西住みほは定石に嵌る危険を思い知った。
そして何より。
彼女達は「チームのために今できることを全力で」の思いがとても強い。
指示通りにだけに収まらない、必要ならばチームのために指示外のことを敢行する勇気がある。
その精神がある限り、どんな危機的状況にあっても打開のためにアイデアを生み出し続けるだろう。
隊が一丸となって目標に向かって進むこと。
個人が勇気を持って挑戦をすること。
その2つの相反するマインドのバランスを取り持つ自己犠牲の精神。
これらをチームに植えつけるモチベート術を持つ人材がどれほどいようか。
持ち合わせているならば、西住みほに対抗馬として推せるかもしれない。
しかし、個人としての技量もずば抜けているだけに、対抗馬以上になろうというのは至難の業か。
女王は揺るがず。
最後に先の展望として述べるならば、第64回全国戦車道大会は、改革が始まった高校戦車道の中で、西住みほとともに歩める人材は誰だ、という大会になるだろう。
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posted by 鍵銛右京 at 19:40| Comment(0) | てきとー | 更新情報をチェックする
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